スピリチュアルX/風水大作戦 異業種交流会にて

異業種交流会に依存する人たちと、上位層へ行く人の違い

1993年(原著は90年代初頭)に発表された
アメリカの作家 ジェームズ・レッドフィールド による
聖なる予言。

三十年以上前の作品だが、
今読み返すと、これは単なるスピリチュアル小説ではない。

一種の「社会予測書」だったのではないかと思う。

⸻

スピリチュアルを“構造”として扱った最初期

この本が画期的だったのは、
神秘を神秘のまま語らなかったことだ。

偶然の一致
エネルギー
意識の進化

それらを宗教的奇跡ではなく、
一定の法則を持つ現象として描いた。

スピリチュアルを「構造」として扱った。

その結果、何が起きたか。

・引き寄せ
・波動
・使命論
・副業的自己実現

スピリチュアルは一部の神秘家のものではなくなり、
大衆化した。

レッドフィールドは、その走りの一人だった。

⸻

副業社会と異業種交流会

作中ではこう語られる。

人は一つの仕事だけでなく、
もう一つの仕事を持つようになる

今やそれは当たり前だ。

副業は普通。
会社員が休日に異業種交流会へ行くのも珍しくない。

私もかつて、
「与えよ、さらば与えられん」というキリストの言葉をコンセプトに掲げる
アメリカ発祥の全国規模の交流組織に所属していた。

当時は夢中だった。

だが今は、構造が見える。

そこには明確なヒエラルキーがある。

・国際ネットワークを自在に使う層(メジャーリーガー)
・年商数億規模の上位層(一軍)
・数値評価で認められる層(二軍)
・その他大勢(三軍)

同じ会場にいても、
景色は違う。
そしてかく言う私も三軍だったが。笑。

⸻

久しぶりに顔を出して感じたことは、

この交流会に依存している人が少なくない。

・紹介数で感情が揺れる
・会の評価が自己評価になる
・外の市場で勝負していない

それって、大丈夫か?

その交流会活動が生活の大きな部分を占めていることに
微塵も疑いを持たない。
今更、高校の部活じゃあるまいし

正直、少しヤバさを感じた。
他の交流会組織も似たり寄ったりかも知れないが。

彼らは弱いのではない。

孤独を避けたい。
認められたい。
何かを変えたい。

その衝動は自然だ。

だが問題は、
装置を目的にしてしまうこと だ。

交流会はあくまで装置。

出会いの装置。
情報の装置。
信頼形成の入口。

それ以上でも、それ以下でもない。

⸻

上位層へ行く人は何が違うのか

ここで、決定的な違いが見えてきた。

最近、私のコミュニティから
その交流会のメジャーリーガーや一軍といった
上位層へ入る人が出始めた。

これが大きい。

以前は観測者だった。

今は違う。

「上位層へ移行するプロセス」を
間近で見ている。

分かったことはシンプルだ。

上に行く人は、

・紹介数で一喜一憂しない
・交流会に依存しない
・外の市場で勝負している
・判断が早い
・余計な承認欲求が薄い

つまり、

交流会に“鍛えられた”のではない。

別の場で整えられた結果、
交流会の上位層に届いた。

順序が逆なのだ。

依存者は、

「ここにいれば上に行ける」と思う。

上位層に行く人は、

「ここは通過点」と知っている。

⸻

現代風水との接続

私の現代風水理論では、

梅には鶯
菜の花には蝶
ゴミにはゴキブリ

と表現する。

場が人を呼ぶ。

フォーカスの合う者同士が集まる。

私はスピリチュアルを“主観”ではなく
物理現象として扱う。

環境は人の判断を変える。
空間は意思決定を変える。

フォーカス帯が整うと、
余計な承認欲求が削れる。

その結果、
依存ではなく、最適な選択ができるようになる。

私のコミュニティから上位層が出始めたのは、
偶然ではない。

“場”が整ったからだ。

⸻

観測者から設計者へ

依存している人を見て、
少し哀れに感じた。

だがそれは優越感ではない。

一段フォーカスを下げて、
構造を見てしまったからだ。

そして今、もう一つ理解した。

私は観測者ではなく、
設計側に入り始めている。

人が依存する構造も、
上位層へ移行する構造も、
両方見えてきた。

それは、異業種交流会に限らず、
様々な場所に存在する。
だからこそ怖い。

「あそこに戻る可能性がゼロではない」

と知っているからだ。

⸻

交流会は目的ではない。

あくまで手段だ。

本当に重要なのは、

フォーカスの合う人と
静かに、深く、繋がること。

そして、
“依存を生まない場”を設計することだ。
それが、今の私の仕事になりつつある。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です