【後編】メガソーラーは本当に環境にやさしいのか
【後編】
パワーコンディショナーと設計思想の盲点
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パワーコンディショナーという存在
太陽光パネルが生み出す電気は直流である。
そのままでは送電網や一般設備では使えないため、
交流へ変換する装置が必要になる。
それが、
パワーコンディショナー(通称:パワコン)だ。
この装置は、ほとんどの場合、
太陽光パネルのすぐ近くに設置される。

理由は明確である。
・直流配線を短くできる
・銅線量を減らせる
・施工費用を抑えられる
・電力ロスも少なくなる
効率とコストだけを見れば、
これ以上なく合理的な配置と言える。
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しかし、その合理性が見落としているもの
パワーコンディショナーは、
単なる「変換器」ではない。
装置内部では、
高周波で電流が高速に切り替えられ、
電圧と電流は常に揺れ動いている。
言い換えれば、
それは――
地表に設置された、
電気を常時揺らし続ける装置
である。
この視点は、
設計図にも、環境アセスメントにも、
ほとんど現れない。
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電気・磁場的に何が起きているのか
問題は、
強烈な電磁波ではない。
むしろ、
微弱で、
広範囲に及び、
しかも常時存在する揺らぎである。
そのような電気的・磁場的な揺らぎが、
地表面に固定されやすくなること。
それ自体が、問題なのだ。
※ここで言う「静電気」とは、
瞬間的な放電ではなく、
微弱な電位差が長時間残留する状態を指す。
本来、
上下方向に逃げていくはずだった電位は、
地表付近で横方向にぶつかり続ける。
楢崎流風水の視点で言えば、
これは、
損傷電位を「点」ではなく
「面」として固定する設計
に近い。

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なぜ生態系に影響が出やすいのか
生き物は、
強い刺激よりも、
弱く、逃げ場のない違和感に敏感である。
昆虫が寄りつかなくなる。
小動物が別のルートを選ぶ。
餌となる環境が変わる。
行動圏が、わずかにずれていく。
その変化は、
一つひとつは些細に見える。
だが、
それが積み重なった先で、
大型動物の異常行動として
表面化することもある。
つまり、
バタフライエフェクトである。
これは断定ではない。
ただ、
設計段階で考慮されていない要素が、
確実に存在している、
という事実の指摘だ。
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バタフライエフェクトという視点
バタフライエフェクトとは、
取るに足らない初期変化が、
時間と連鎖を経て、
予測不能な大きな結果を生む現象を指す。
重要なのは、
原因が小さいことではない。
原因が見えにくいことだ。
メガソーラー施設で生じる、
微弱な電位のゆがみ。
磁場の揺らぎ。
地表に固定される違和感。
それらは、
即座に数値化できる。
さらに
昆虫の一世代。
草木の生育サイクル。
小動物の行動選択。
それらが、
わずかにズレ続けることで、
土地全体の「性格」は、
静かに書き換えられていく。
最初に変わるのは、
生産性ではない。
居心地である。
居心地を失った土地は、
生き物から順に、
少しずつ距離を置かれていく。
それは、
ある日突然の崩壊ではない。
異常値が出るわけでもない。
ただ、
「気づいたときには、
何かが戻らなくなっている」
という形で現れる。
これは、
偶然でも、
迷信でもない。
設計段階で切り捨てられた要素が、
時間という媒介を通して、
結果として顕在化しているだけ
なのである。
問題は「発電」そのものではない
太陽光発電自体が
問題なのではない。
問題は、
効率。
コスト。
回収年数。
それだけで完結してしまう、
設計思想にある。
土地がどう反応するのか。
生態系がどう変わるのか。
十年後、その場所が
どんな状態で残るのか。
それらは、
最初から計算に含まれていない。

《※この図は「教科書的な理想構成」であり、
実際の現場では、
ここまで考慮されていないケースが大半である。》
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協同組合的発想との対比
かつて日本で根付いていた協同組合は、
個別利益より全体。
短期より長期。
速度より持続。
そうした価値観を、
基盤としていた。
現在のメガソーラーの
ビジネスモデルは、
その対極に位置している。
切り取る。
換金する。
去る。
効率は良い。
しかし、
土地の未来は引き受けない。
かつて『宇宙戦艦ヤマト』では、
酸化によって生き物が住めなくなった惑星
「ガミラス」からの地球侵略が
物語の軸だった。
だが、
化学肥料と工業的合理性が重なれば、
地球そのものが
「ガミラス」と同じ道を辿らないと、
誰が言い切れるだろうか。
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おわりに
この文章は、
反対運動でも、
陰謀論でもない。
ただ一つの問いを、
投げかけているだけだ。
その設計は、
土地と生き物、
そして時間を、
最初から含んでいるだろうか。
もし含まれていないなら、
歪みは必ず、
どこかで表に現れる。
それが、
今、各地で
静かに起きていることである。

