スピ会なのに人生相談?──エンタメ系スピリチュアルの実態を垣間見た夜
久しぶりに、ヒーラーの知人が主催するZoomスピリチュアル会に参加した。
とはいえ、最後の30分だけ。
軽く顔を出して退出するつもりだったのに、思わず引き込まれるようなカオス展開が待っていた。
それはもう、ある意味、面白かった。
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スピ会が突然「人生相談室」に変わる瞬間
その日のスピ会には、某芸人O氏(滑り芸で有名なイケメン芸人)の元奥さんであり、
スピリチュアルカウンセラーとして活動しているOさんが参加していた。
そして彼女、会の途中で突如として、参加者に向かって人生相談を始めたのである。
「あなた、本当はどうしたいの?」
「うーん、そのエネルギー、少し滞ってるかもね……」
いや、ちょっと待ってほしい。
これはスピリチュアル会であって、不幸自慢大会や人生相談の場ではないはず。
他の参加者たちも、微妙な空気を漂わせつつ、黙って画面を見つめていた。
私も内心、「これは笑っていいのか、真面目に聞くべきなのか……」と戸惑いながら…。
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「Eさんと親しい」と言われても……
さらにOさんは、「私、Eさんと親しいの」とサラッと語り出した。
あぁ、なるほど。そういう感じか、と私は妙に納得してしまった。
そのE氏というのは、言わずと知れた“元祖スピリチュアル芸人”とも言われる人物で、
テレビ出演を通じて一般にも知られるようになった霊能者だ。
しかし私から見ると、このE氏、根拠が曖昧なことばかりを、それっぽく語るだけの人という印象が強い。
また、その体型からも、あまり自己管理ができているようには見えない。
それ自体は個人の自由だが、後述する彼の“自説”を聞くと、さらに首をかしげたくなる。
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「霊媒体質には炭水化物が必要」?その発言にモヤモヤが残る
E氏は過去に、「霊媒体質の人は炭水化物が必要」という、なんとも奇妙な主張をしていた。
いやいや、と思わず突っ込みたくなる。
ヨガの行者や密教の僧侶に太っている人は少ないという事実を前に、それは説得力に欠ける。
なぜかスピリチュアル界隈では「太っている=高次元とつながっている」説のようなものが、まかり通っているように思える。
それって、どこから来たのだろう?
同じ時期にテレビで活躍していた細木数子氏と比較すると、その違いは明らかだ。
細木氏はズバリと断言するスタイルで、好き嫌いはあれど、ある種の潔さと“芯”を持っていた。
しかも彼女は、あの安岡正篤先生(平成という年号や、終戦の詔の作者)の薫陶を受けたという背景もあり、曲がりなりにも一定の見識を備えていた。
一方、E氏の語り口は常にどこか曖昧で核心をつかない。
優しさや配慮の表れとも取れるが、肝心なところははぐらかし、ぼんやりとした霊的ワードを漂わせて終わることが多い。
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「Eさんに会ったことないのに、なぜそんな風に言えるの?」
Oさんからは、こんなことも言われた。
「あなた、Eさんに会ったことないのに、なんでそんな風に言えるの? すっごく良い人だよ」
うーん、“良い人”だから信じるというロジックは、スピリチュアルとしては危うい。
むしろ、会わずとも波動や直感で読み取れることこそ、スピリチュアルの本領では?
と、こちらが逆に問い返したくなる。
そしてOさんは、こうも語っていた。
「Eさんって、“霊感の波の上下が激しい”とか、TVでは“台本通りに喋ってるだけ”とか言ってたよ」
それを聞いた瞬間、私は思った。
もはや、自ら“スピ芸人”であることをネタバレしているようなものではないか、と。
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誰でもスピリチュアルを名乗れる時代の、ひとつの実例
仮に「波に上下がある」「調子が良いときしか降りてこない」というのなら、
それはもう誰でも“スピリチュアル”を名乗れてしまうのではないか?
エンタメの文脈で消化されてしまったスピリチュアルの現場を、まさに目の当たりにした30分だった。
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スピリチュアルは「ガチ勢」と「エンタメ勢」に分かれる
改めて思う。
スピリチュアルには、大きく分けて“ガチ勢”と“エンタメ勢”がいる。
ガチ勢は、自らの体験と修行、深い内観を経て言葉を発する。現実重視で、安定している。
一方のエンタメ勢は、トークとキャラと“それっぽい”世界観で魅せる。言葉は派手だが、内実はブレがち。
OさんやE氏の姿を見て、私はこの二つの違いを再認識した。
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笑えるけど、気づきをくれる“スピ芸”のリアル
今回のZoom会は、ある種のスピリチュアルの現実を映し出していた。
面白かったけれど、いろいろと考えさせられる。
「波がある」「今日は降りてこない」と自ら語る“霊能者”に、どこまで信を置くか。
“感じの良い人”を理由に、リーディングの正確性を語ってしまうことの危うさ。
それらを含めて、今のスピリチュアルシーンを象徴するような、非常に興味深い時間だった。
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【後記】
私はナオキマンショーが好きで、彼の都市伝説やスピリチュアル考察には時折ハッとさせられるものがある。
エンタメ要素を保ちつつも、どこか俯瞰して“本質に触れようとする姿勢”に共感しているのかもしれない。
また、スピ的な視座を深めるうえで、安岡正篤の著書『易と人生哲学』は、私にとって何度も読み返す愛読書だ。
占いではなく、「人の生き方と天地の理をどう調和させていくか」という視点に立つ易経の知恵は、
浮ついたスピリチュアルとは一線を画していると感じる。
スピを語るなら、まず自分の“軸”をどこに置くか。
そんなことを、改めて考えさせられた会だった。
