「気づき」の名を借りた麻酔──スピリチュアル詐欺と波長の真実
詐欺師に人生相談していませんか??
最近、スピリチュアル系の活動家や“ヒーラー”を自称する人々の中に、明らかに倫理や常識から逸脱した行動をとりながらも、支持者(情弱者)に囲まれているケースを多く見かけるようになった。
彼らを取り巻くのは、単なる信者ではない。むしろ、自ら進んで共鳴し、支え、擁護しようとする人々だ。
この現象の背後には、「スピリチュアル詐欺師に共鳴する人の心理構造」がある。
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■ 錯覚された“気づき”──講座で得たのは目覚めではなく陶酔
多くの人が、スピリチュアル講座を受けた直後から、自分に特別な力が宿ったかのように錯覚しはじめる。
“サードアイが開いた”“宇宙とつながった”という言葉を軽々しく口にし、まるで選ばれし存在になったかのように振る舞うのだ。
だが、外から見ればそれは“超能力”などではない。ただの自己暗示、あるいは講座で得た言葉をなぞる思い込みの強さでしかない。
実際のところ、本物のスピリチュアルな力とは、師との深い共振や、土地や霊的存在との選定を経て静かに芽吹くものだ。
それを一夜で得たかのように語るのは、通信教育で黒帯を取った者が武道家を名乗るのと同じくらい危うい。
彼らはよく、「量子力学では…」「心理学的に言えば…」と深く知りもしない上っ面の専門用語を並べるが、その言葉がどれほど自分の実体験に裏打ちされているのかを問いたい。
果たして本当に、奇跡のような体験を自らの魂で味わったことがあるのだろうか?
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■ 共依存と未処理のトラウマが“優しさ”を装う支配を招く
こうした人々の多くは、過去に深い喪失やトラウマを経験している。
そして、その痛みの受け皿としてスピリチュアルを求めるうちに、支配と服従の構造に絡め取られていく。
とりわけ厄介なのは、詐欺師との間に築かれる共依存関係だ。
詐欺師は「あなたは特別だ」、「これは自己成長のためだ。」と語りかけ、心理的な依存を巧みに育てる。
その過程で、相手に“優しさ”を装った忠誠を求め、疑問を抱かせる隙すら与えない。
それでも本人たちは、それを“気づき”や“導き”と勘違いしてしまう。
だがそれは、「気づき」という名の麻酔に過ぎない。
痛みを忘れさせてくれる代わりに、判断力も、自尊心も、主体性も奪われやがて思考停止状態へと誘われる。
それを客観的に指摘する者に対しては必ずといってよいほど「あなたに何がわかるのですが?」と距離を置こうとすのも依存する者たちに共通した特徴だ。
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■ 波長が示す未来──カルマの法則がよいほど
「梅には鶯、菜の花には蝶、ゴミにはG」
これはただの比喩ではなく、スピリチュアルにおける波長の法則そのものだ。
類は友を呼ぶ。波長が合う者同士しか共存できない。
詐欺師の周りに“イエスマン”ばかりが集まるのは偶然ではない。
彼ら自身が、無意識のうちに同じ傷や幻想を抱えた者同士で引き合っているのだ。
そしてその関係性の先にあるのは、“癒し”ではなく、“支配”である。
人間関係の輪の中で、自分だけが疲弊しているなら、それは波長のずれではなく、カルマの作用による自然淘汰の前兆かもしれない。
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■ 本物と偽物があぶり出される時代に
2025年という年は、おそらく多くの人にとって「本物と偽物」が明確に区別されるターニングポイントになるだろう。
本物は黙して光を放ち、偽物は飾り立てながら他人を利用する。
天に唾を吐き、他者を騙す者たちは、自らの波動に応じた末路を迎える。
誰かの“優しさ”の仮面に甘えたままでいるのか、
それとも真実と向き合い、目を覚ます側に立つのか。
選ぶのは、いつも自分自身だ。
