同じ失敗が、別の顔をしてやってくる

――シンクロニシティと“気づき”のループ

5年前、母が脳梗塞で倒れて以来、私は不思議な“ループ”を繰り返しているような感覚を持つようになりました。

過去に後悔し、悔やんだはずの出来事が、別の形で再び目の前に現れる――。
そのたびに向き合い、乗り越えると、また新たな“試練”がやってくる。
まるで、魂の成長のために設計された「気づきの階段」を一段ずつ登っているような…そんな人生の仕組みがあるようにも思えてきたのです。

そんな感覚を象徴する出来事がありました。

母の介護をしやすくするため、私は柔軟な働き方ができる中小の建設会社へ転職しました。
そこには、少し前に入社していた社長の娘婿がいました。
彼は、工業高校から大学に進学し、大手自動車メーカーの本社に就職――誰もが羨むようなキャリアを築きながら、それらをすべて手放し、妻の実家の建設会社へ転職してきたとのこと。

その姿を見て、私は強烈な既視感を覚えました。

というのも、私自身もかつて同じような道を歩んでいたからです。
工業高校から大学を経て、大手企業の本社で希望の部署に配属されるという幸運を手にした私。しかし、東京の人間関係の濃さや自然の少なさに耐えきれず、無理を言って地元・名古屋の子会社へ異動。
結果、内勤でクレーム処理に明け暮れる毎日となり、心身ともに疲弊した苦い経験がありました。

「あのとき、もう少し踏ん張っていれば――」
そんな後悔の感情が、この娘婿の姿を通じて再燃していくのを感じたのです。

彼はというと、小さな会社の現場業務に馴染めず、Webセミナーには熱心でも、基本的な業務はなかなか覚えようとしない。
詰めが甘く、ミスを繰り返し、お客様との約束を平然と破ることもありました。
にもかかわらず、どこか他人事のような雰囲気を纏い、現実から一歩引いたまま仕事をしていたのです。

私は彼に、かつての自分を重ねました。
だからこそ、彼を導くことができれば、自分の中にある“未完の物語”を完結させられるのではないかと感じ、根気よく指導を続けていたのです。

けれど、ある日衝撃的な事実が発覚します。
彼が、社員の休憩所に録音状態のスマートフォンを忍ばせていたのです。
おそらく、社長の指示で社員の会話を盗み聞きしようとしたのでしょう。
その後、彼は会社に来なくなり、しばらくして退職していきました。

私は、この出来事に一種の“答え”を感じました。

つまり――
同じ失敗は、別の顔をしてやってくる。
そして、それにどう向き合うかが、次の段階へ進むための「気づきの鍵」なのだと。

気づいたとき、ループは終わる

ジェームズ・レッドフィールドの『聖なる予言』には、こう記されています。

「気づくことができれば、そのループは終わる。
 次の段階に進む扉が開かれる。」

人は何かを変えようとするとき、つい「外側」に働きかけてしまいがちです。
他人を変えようとしたり、環境を整えようとしたり…。

でも、本当に必要なのは、自分自身の内側にあるパターンに気づくこと。
そしてそこから自由になること。

私はこの一件を通して、自分の「後悔の感情」や「未消化の体験」と再び向き合い、それを他者に投影していたことに気づかされました。

おわりに

もし今、あなたの目の前に「またこれか…」と思うような出来事が起きているなら――
それは、ただの偶然ではないかもしれません。

その出来事の裏には、あなたにしか受け取れない“気づきのメッセージ”が潜んでいるのです。

大切なのは、それを拒まずに受けとめること。
そして、その奥にある“学び”を見逃さないこと。

気づいた瞬間、ループは終わります。
あなたのエネルギーは軽やかに流れ出し、人生は静かに、しかし確かに次の段階へと動き始めるのです。

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